心理学勉強記録

このブログは、心理学を学んでいる私が、日々のテキストを自分なりに解釈しながらアウトプットしていく記録です。 主に自分自身の復習用として作成していますが、心理学に興味のある方、これから学び始める方にとっても、何かしら参考になる部分があれば幸いです。

『物語としての心理療法』要約⑪ ― 第2章:認識としてのナラティヴ──「ストーリー」と「ナラティヴ」の違いをめぐって

※本記事は、ジョン・マクレオッド著『物語としての心理療法』(誠信書房)第2章の要約および私見を交えた学習記録です。ナラティヴ・アプローチに関心を持つ初学者にも親しみやすい語り口で整理しています。

 

 

---

 

前回の記事では、ジェロームブルーナーの提唱する「物語的認識」と「パラダイグマ的認識」の違いについて紹介しました。今回はそこから一歩進み、「ストーリー」と「ナラティヴ」という言葉の違いに注目します。

 

「ストーリー」は、特定の出来事についての説明を意味し、通常は他のストーリーと結びつきながら展開されます。その際には、ストーリー同士をつなぐ「橋渡し」のような一節が添えられることが多く、そこには類型化や真実性への言及が含まれます。

 

一方で「ナラティヴ」という言葉は、「ストーリー」ほど厳密に定義されていません。むしろ緩やかに理解されており、しばしばストーリーに基づいて出来事を意味づける行為全体を指す概念として扱われます。ナラティヴは学術的な文脈で用いられることが多く、日常生活では「ストーリー」の方が手に取りやすく、親しみやすい言葉として広く流通しています。

 

 

---

 

人間は、語り手でもあり、聞き手でもあります。

たとえば、熟練した語り手が子どもに物語を語るとき、子どもは話に引き込まれ、夢中になります。これは、ストーリーが語られる状況下では、人間の「自己を省みる能力(メタ認知)」が一時的に沈静化するからです。

 

語りの最中に自己を意識しすぎると、ストーリーの流れが断ち切られ、物語そのものが崩壊してしまう。だからこそ、ストーリーは**「語られたあと」に省みる**のがふさわしいとされます。

 

 

---

 

この「語る」という営みは、実は非常に早い時期に獲得されます。

子どもが言葉を覚えはじめると同時に、独り言のようなストーリーを語り始めます。その語りはやがて構造を持ち、より複雑なものへと成長していきます。

 

クレオッドは、子どもがナラティヴを用いることによって、自分の経験を再現し、世界に意味を与え、さらには問題解決に向かう姿勢が形成されていくと述べています。

 

ナラティヴとは、単なる“話”ではなく、生きていく上での認知・行動・社会適応の基盤となるものなのです。

 

 

---

 

本章後半では、「語ること」が人間の認知的・社会的能力の土台であるという見方が丁寧に解説されていました。日常のなかで自然に行っている“語り”の背後に、どれだけの認知の力が働いているか──それに気づかせてくれる内容でした。

 

 

#物語としての心理療法 #ジョン・マクレオッド #ナラティヴセラピー #心理療法 #ストーリーとナラティヴ