※本記事は、ジョン・マクレオッド著『物語としての心理療法』(誠信書房)第2章の要約および私見を交えた学習記録です。ナラティヴ・アプローチに関心を持つ初学者にも親しみやすい語り口で整理しています。
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ストーリーは、人間の感情や情動を理解し、意味づけるための重要な枠組みを提供します。サービン(Sarbin, 1989a, 1989b)は、心理学者たちが情動を「内発的かつ自動的な身体反応」として理解してきた傾向に警鐘を鳴らしました。彼は、情動が本質的に社会的・対人的な現象であると捉え、物語的構造のなかで意味づけられるものとして再考を促しています。
サービンが紹介する事例は、こうした視点をよく表しています。ある配管工アルバート・ジョーンズが、仕事の不手際をめぐって同僚と激しい口論となり、最終的に14インチのパイプレンチで相手を殴ってしまいました。その後、彼は警察にこう語ります。
> 「ただもう、自分のなかに怒りが込み上げてくるのを感じて、爆発してしまったんだ。」(Sarbin, 1989b, p.188)
この発言は、怒りという情動を、出来事を説明する「物語の中の要素」として語っていることを示しています。情動はここで、行為を正当化し、自分の振る舞いを理解可能にするための修辞的装置となっているのです。
サービンはこうした情動を「倫理的アイデンティティを保つための語り」として捉え、次のように述べています。
> 「怒り、悲しみ、恥じらい、歓喜、嫉妬、これらは他者や自分に対して、自らの倫理的主張を納得させるために意図された修辞的行為である。自分の倫理的なアイデンティティを維持し、強化することが目論まれているのである。」(Sarbin, 1989b, pp.192–194)
この視点は、アベリル(Averill, 1991)、バウマイスター(Baumeister, 1995)、ド・リヴェラ(de Rivera, 1991)といった他の情動研究者にも共通しています。彼らは、人間が基本的に社会的な存在であることを前提に、情動もまた社会的・対人関係的な文脈で理解されるべきだと考えています。
この考え方は、ラザルスが提唱するような「知覚や認知を媒介とした情動」の枠組みとは一線を画します。サービンにとって情動とは、自己や認知を超えた「語られる出来事の意味」として構成されており、それはストーリーのなかでこそ正当化され、共有され、理解されうるのです。
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