※本記事は、ジョン・マクレオッド著『物語としての心理療法』(誠信書房)第2章の要約および私見を交えた学習記録です。ナラティヴ・アプローチに関心を持つ初学者にも親しみやすい語り口で整理しています。
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ストーリーは、人から人へと語られるものです。そこには、語り手と何らかの聞き手が存在します。ナラティヴには、認識の一手段として関係的な世界が含まれており、ストーリーは語り手と聞き手の間に生じるものです。語り手によって創り出されるものでありながら、それは常に特定の聞き手との関係において生み出されます。したがって、聞き手が語り手からストーリーを引き出しているという側面もあります。このように、ストーリーとは語り手と聞き手の間で生じるパフォーマンスなのです(Langellier, 1989)。小説のように一人で書いたストーリーであっても、聞き手(読み手)の存在が想定されています。
物語ることの社会的な機能として最も直接的なのは、1人の人間を他者に知らしめることです。ストーリーを語ることは、その人自身について他者に伝える方法であり、相手から共感的な反応を得るために門戸を開く手段でもあります。「私の問題」や「私の人生」といったストーリーは、他者に自分を知ってもらうための直接的な方法です。ブルーナーは「ストーリーは往々にして対人葛藤場面との関連で語られる」と指摘しています。対人葛藤場面は「通常からの逸脱」に結びつき、説明の際にはサスペンスや緊張感が生じます。このサスペンスや緊張感はストーリーを記憶に留め、人々を惹きつける特徴となります。そして、ストーリーはコミュニケーションの一形式として、緊張感の一部を弱めるように構造化されます。そのため、ストーリーには例外的な事柄を秩序へ引き戻す〈解決〉や〈モラル〉、行動の規範(prescription:規範的指示)が付与されることがあります。
さらに、ストーリーは語り手が社会や文化のなかでどのように位置づけられているかを、直接的・間接的に伝えます。ここには2つの方法があります。第1に、ストーリーの序盤で出来事が時間的・空間的に位置づけられます。例えば「それは、私たちがゴルフ・コースに向けて車を走らせているときのことだった。その車が故障して…」という形で、話の中に「私はゴルフをする」「私は車を持っている」といった社会的・文化的手がかりが含まれます。第2に、ストーリーのスタイル自体にも社会的サインが含まれます。バーンスタイン(Bernstein, 1972)は中産階級と労働者階級の子どもが語るストーリーを研究し、労働者階級の子どもは〈限定的なコード〉を用い、中産階級の子どもは〈精緻なコード〉を用いる傾向があると指摘しました。
このように、ストーリーは語り手と聞き手の社会的コンテクストやアイデンティティについての意味を伝えるだけでなく、逆にストーリーがコンテクストやアイデンティティに影響を及ぼす場合もあります。周囲の人々の語り手に対する態度にも変化が生じることがあります。成功のナラティヴを持つ人は、失敗のナラティヴを持つ人よりも、プロジェクトや新規事業に誘われる可能性が高くなるのです。
このように、ストーリー(あるいは会話のあらゆるタイプ)が単なる情報や経験の表象であるだけでなく、社会的・対人的な行為の形式でもあるという考え方は、ヴィトゲンシュタインやガーゲンといった思想家の著作で注目されました。これはカウンセリングや心理療法における物語行為を理解するうえで決定的に重要な視点です。ナラティヴの最も重要な社会的次元は、私たちが「語られた世界」に生きているという事実にあります。家族や社会集団、文化の構成員であるためには、その集団が持つ伝統や価値観を伝えるストーリーを知っている必要があるのです。語られるストーリーは、既存のストーリーの膨大なストックから引き出されているのです。
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